関戸社長の心のコラム

心のコラム(踊り場)

来年60歳です。人生の第二ラウンドそれを目前にするこの時、振り返る人生の中で仕事場の中で夢中になった時は駆け抜けたようでした。『秋の夜 静かな時空』が、思い悩む後姿に良く似合う。
出来事にはさまざまな思いが人生の長さを感じさせます。子供がまだ小学の頃の思い出、チョット見かけた街角の物語、また沢山のお目をかけていただきお世話になりご恩になった人たちとのお別れの時、隠し切れない大きな衝撃と感傷がその思いの丈を筆に残してきました。

母の姿 I・K様new

まだ若い頃。健やかで気立ての優しい二人の姉妹、利発で元気な兄弟達は、あなたが手をつなぎ、愛情を込め育て歩む後姿を、思い浮かべさせていました。

母として敬愛の念を集めたことのみならず、魚河岸の名門『石福』の暖簾を、必死で守る店主であった、ご主人の良き伴侶として、良き台所役として、立派に生きていたあなたの昔を今思い出しています。

「人生は、ただ重い荷物を背負い 坂道を登るが如し」の名言もありますが、その決して楽ではない人の一生の中にも、振り返り見れば『家系を磨く』という、実に尊大な天からのご褒美があることを、あなたに教えていただいた気がします。

母として、女性として人として、その熱い使命を全うされたあなたの今に心より「ごくろうさまでした」「ありがとう」の言葉を添えて、お見送りさせていただきます。

ありがとう ありがとう 何度もなんども ありがとう

平成二十一年六月二十四日 梅雨空
関戸富夫

1月12日 葬儀の景色

このたびの父、故関戸茂逝去に際しご心配賜りまして誠に有難う御座いました。遠路はるばる、また新年のご多用中にも拘らず、本日の葬儀にご足労戴きましたこと心より御礼申し上げます。

昨年1月5日に信濃町の病院でお世話になって以来、親父にとってはとても窮屈で辛い一年間だったと思います。そしてまた反面には、けなげな看護婦さん女医先生に囲まれた「苦難と花」親父の人生の縮図を想わせた一年間でもありました。

時は12月19日午後11時15分、一年中で一番夜の長い「冬至」をまもなくにひかえた重く暗い一日。しかしそれはまた緊張感の張り詰めた、とても時間の速い夜でした。
その時から、正月も疾うに明けたきょうこの頃の長い陽射しには、心和らぐ「復活」の希望を持たせてくれる何かを感じます。

「輪廻転生」を固く信じる私にとっては、「明日への期待」に向かって親父に背中を押されている、そんな気がしています。
今改めて親父の人生が「花咲か爺さん」にも似た一生であったのかな、と思えてなりません。

そんな親父の人生の幕引きを見届けていただけたご参列の皆様には、心より感謝の気持ちをお伝えすると共に、親父なきこれからも、どうかこのご縁の輪絶えることなく従来どおりのお付き合いご厚情賜りますことをお願い申し上げ、会葬御礼の言葉とさせていただきたいと思います。

本日は、わざわざのお時間戴いたこと、深く感謝、御礼申し上げます。
本日は大変有難う御座いました。

平成19年1月12日
喪主 関戸富夫

N・H様宛ての文面より

N・K 先生

北の遠い彼方、岩手の空を拝し『仰げば尊し』の歌詞を口ずさむ無意識な私がいます。
沢山の『お世話』になった日々のこと、
沢山の『ご恩』を戴いた日々のこと、
沢山の『お目にかけて頂けた日々』のこと、 
二人してリアスの水辺に腰を下ろし、遥か水平に視線を置きながら、沢山の抱える苦難苦慮をよく理解し勇気を与えてくれたN先生。 今は遠く過ぎた日々の記憶を想いのなすがままに、脳裏に刻まれた優しい面影を思い浮かべています。
ご無沙汰申しあげていたとはいえ、お元気でお過ごしの事とばかり思っていましたのに、ただ ただ、今は心よりお悔やみ申しあげる次第で御座います
どうぞ ご気丈でありますように

平成19年10月
株式会社 関富 関戸富夫

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Sさん宛の文面より

思いもよらぬ訃報の声に、心沈めています。
落ち着いた顔立ち、優しく温厚なお人柄が目に浮かびます。
厳しい商談のあと、本部に働くSさんの姿を目にするたびに心静まる思いをしたことが記憶に蘇ります。
そしてそのたびに離れたところから、人格者として仰ぎ見ていたものでした

…さんの発展された今日、その秀でた人格を鑑みて三代目社長への指南役としての抜擢もあるのかな、とも思っていました。
此度の件、大変残念に思っているのは私だけではないと思います
どうぞこれからは天国から、今混迷する我々流通業界の行く末と、
三代目社長の成長活躍を見守ること応援して下さることをお願いいたします

平成18年3月25日
株式会社 関富 関戸富夫

弔電(敬愛)

豊かな海、豊かな風土の中に生活の基盤を置き、その天からの恵みを私たちの食生活への繋ぎ役としての仕事。その先代社長の社業を見事に支え、それはまさに天命を寛容に受け止めた優しく気丈なTさんの人柄そのものではないかと思う。

昭和四十年代初期、戦後二十余年の歳月が過ぎたとはいうものの、今日のような豊かな食生活とはまだまだかけ離れた時代にあり、その社会的貢献は今ここでは言い尽くせないほどの大きなものがあった。
思い起こせば、築地の仲卸としての私たちにとっても各地の生産者の人たちの頑張りに大いに助けられたものだった。出荷先である築地東市、そのセリ場に積み上げられた商品の山々、の印水産、ヤマサ蒲鉾、ムラカミ蒲鉾、焼津なると巻。
とりわけ大丸水産の「つみれ」その積み上げられた山。それはまるで「築地の万里の頂上」そのものだった。「すげーなー」大丸さんの荷物の山を目にするたびに、僕はいつも商売心に刺激を受けたものだった。

立派な跡継ぎを育て上げられました、そのお子達による今日の繁栄する大丸食品を思えば、まさに今様「吉宗の母」である、そう思う。
私どもの会社も大丸さんとの取引先の一つでした。発注担当だった私はいつも助けられていました。注文時間が遅れたり数量訂正があったり『悪いなあ』と思いながらかける『わがまま電話」に、いつもはきはきとした元気な声で快く受けてくれたTさんのその優しさは、私に得意先との電話での上手な対応の仕方を教えてくれものでした。
改めて教えていただいた多くのことに感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

日本中が活況を呈し始めた頃とはいえ、今の時代にはない幾多の困難があったはずなのに、先代社長を見事に支えたその功績に心から敬意を表すると共に。後から行くものとして目標にしなければいけないと思っています。

多くの人たちを支えはぐくみ、多くの後輩たちに芽を吹かせ、まるで打ち寄せる荒波を受け止める犬吠の海岸のような業界の偉大な先輩に、賞賛と敬意をお伝えしたいと思います。
どうぞこれからは天国からこの業界の行く末を見守り、繁栄へのお導きをくださいますよう心からお願い申し上げる次第です。

やすらかに

平成17年10月9日
株式会社 関富 代表取締役 関戸富夫

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