二、手紙からの文面
A・H様宛ての文面より
 兄上様には、益々のご清祥のことと拝察申しあげます。 
   遠くに見る山の残雪、まだ冷たい風、そんな中にも躍動を密かに秘めた春の陽射には『早春譜』の情景がうかびます。両親に手をつながれた小学の頃を思い出させる春の日々、四月もとうに半ばを過ぎ、時のめぐりの慌しさに時間の不思議を感じる今日この頃です。 
親父のその節には、三日間の長きにわたり公私ご多用の中お運び頂きました事、誠に有難く今改めて深く々御礼申しあげる次第で御座います。 
   前後およそ二年間、一年間の介護と一年間の入院付き添いの末のことそれらの生活環からの区切り、ついやっと最近の気持ちの落ち着きに我を取り戻す昨今です。 
そして今変化を遂げた日常の環境の中に『自分しかいない』事に気づいた時、自らの頼りなさに心引き締まる今日で御座います。それを思うにつけ、当家よりもはるかに大所帯を引き上げてこられた兄上様の、勤勉と努力・実力・底力には今改めて沢山の敬意を密かに払う心境でございます。 
   
   気分を変え先日、『おっかー』とコンサートに出かけてきました。 
   シャンソンの『シャルル・アズナブール』です。1924年生まれ、とても頑張り今年83歳。
   シャンソンでありながら、現代の日本の文化風土にも、自然に馴染む彼の自作のメロディーにはあっぱれの一言。
   いい仕事、いい人生。 
「私も彼のような今後を辿りたいもの」ととても感慨深いコンサートの夕べでした。 
   兄上様におかれましては、どうぞ健康に留意され益々のご健勝をお祈り申しあげ、父 関戸茂の御礼と近況のご挨拶といたします。
ありがとうございました。
   平成19年4月25日
   関戸富夫
カラスの赤ちゃんなぜ泣くの
 娘 南央(みなか=小学4年生)が中央区立宇佐美学園へ行ってから1ヶ月と18日
(宇佐美学園=都会の子供達を自然の中で育成させる事を目的の一つに作られた学園。現実はとても寂しがり、行かせた事は如何なものか今も疑問) 
南央へ
   達者で居ますか? 髪の毛はどれくらい伸びましたか? 
   お父ちゃんの気持ちは、南央が宇佐美学園に行ってからもう何ヶ月もたったような気がします。 
   ルイ君(ねこ)も『僕もそうだ』と言っていました。 
   みなかが宇佐美に行ってから、ルイ君はさみしくてとても痩せたような気がします。 
   おかあに話すと、夏だから毛が抜けただけだと言っていました。
   なんと『現実的な奴だなー』と思いました。
5月25日(火曜日)朝9時、今日は暑くなりそうな気配(けはい)です。
   昨日は休み明けの仕事で、23日の22時から24日の夕方5時まで仕事をしました。
   チョット疲れていましたが、宇佐美の生活があと46日しか残っていない南央のために、
   早くピアノの楽譜を送ってあげようと探しに行きました。 
   いつか南央と一緒に行った、銀座山野楽器まで行きました。 
   雨が降っていました。
『南央がいる宇佐美も雨かなあ』と思いながらたそがれ(ゆうがた)の銀座を歩きました。 
   楽譜がたくさんありました。
   いくつも取り出して内容を見ましたがなかなか希望するものが見つかりませんでした。
   すぐ隣にやはり楽譜を探しに来た女性がいました。とてもいいにおいがしました。
   南央も大人になるとこうなるのかなあと思いながら楽譜を探しました。
あった、あったやっとありました、本棚の下のほうに並んでいました。
   今日はそれを同封します。クリップを挟んでおきました。 
   『月の砂漠』と『カラスの赤ちゃんなぜ泣くの』を練習してください。叙情歌と言って心にしみるとても良い曲です。大きくなって大人になって、心豊かに生きることの素晴らしさに気づく南央にとって、とても大切な宝物になると信じています。
易しそうな曲なのでみなかは自分で練習してみなさい。 
   どうしても上手くいかないときは、瀬戸先生に教えていただきなさい。 
平成11年5月25日
 南央へ おとおより
見上げる空には
見上げる空には、「もうとっくに秋だよ」と言わんばかりの雲たちのポーズ。
青く澄んだ穏やかな空に、心根の優しそうな雲たちが人の心を癒してくれます。
今年もはや九月になりました。
皆様にはお変わりなくお過ごしのことと存じ上げます。
さて、来る十一月二十一日は亡き母の七回忌にあたります。
晩秋の良き日、心ばかりの法要を営みたくご案内させていただきます。
七回忌として特に関戸家にとって、ご縁の深い皆様にお集まりいただければ幸いに存じます。
関戸富夫





 
 